こんにちは。近藤です。今回は原宿にある神宮橋についてご紹介致します。
神宮橋は大正9年(1920)、明治神宮の造営時に山手線を跨いで架けられ、当時としては珍しく、鉄骨を使用したコンクリートの橋桁であったそう。
橋の装飾は最も苦心したところで、御影石の高欄部分には黒松を吹寄植して橋を渡る人々に下を走る列車を気付かせないよう配慮すると共に橋詰には石燈籠を現代化した親柱を建てたそうです。
多くの人々に親しまれてきたこの橋も、寄る年波には勝てず、60有余年間その使命を十分に果たし、新しい橋に架け替えられました。
新しい橋は古い橋の姿をできるだけ損なわないように高欄は御影石を使って再現し、親柱は当時の石材を補修してそのままの形に復元(*´-`)
そして、歩道部分の舗装には御影石を組合せてその中に渋谷区の木「けやき」をデザインして配置し、新しい原宿の町にふさわしく明るい感じとしたものだそうです。
明治天皇と昭憲皇太后(一条美子)を祀る明治神宮は大正9(1920)年の創建。
創建時に正面からの参道として青山通り(国道246号)から原宿駅前まで幅30mもの大路が整備され、山手線の掘割を跨ぐため原宿駅の傍に神宮橋が架設されました。
当時の山手線は複線だったにも関わらず、絵葉書に写る神宮橋の下には複々線分の空間が確保されている事が確認できます。
明治時代までは東京郊外の寒村に過ぎなかった原宿は、明治神宮の創建と東京オリンピックを契機とした周辺整備を契機に大きく発展を遂げました(*´-`)
神宮橋を渡る車は明治神宮の駐車場ぐらいしか行き先がないため、橋上のうち車道になっているのは1/4程度の7mだけで、残る大部分は広大な歩道になっています。
前述のとおり現在の橋は昭和末期に架け替えられたものですが、橋としてのスペックは旧橋と殆ど同じである上に、親柱等の一部に旧橋のものを使用しているので、大正時代に架設された当時の趣が濃厚に残っているようです(*'ω'*)普段何気なく素通りしてしまっていましたが掘り下げてみると深い歴史があったことに驚きました(*´-`) 何事も一歩立ち止まってよくいろいろなものに関心を持っていくことが大事ですね!
また来週に