こんにちは!近藤です!
今回は第73回横浜名流華道展へ行ってきました!
写真の量がたくさんあるので前編と後編で2回にわたりご紹介しようかと思います!(๑˃̵ᴗ˂̵)
華道には数多くの流派が存在しますが、その中でも三大流派と呼ばれるのが「池坊」「草月流」「小原流」です。
これらの流派は、三百と言われる生け花・華道の流派の中でも最も規模が大きいもの。
それぞれの流派は歴史や特徴が異なりますが、もしこれから生け花や華道を学びたいという場合、この三大流派のどれかを学ぶのがおすすめだそうです(๑˃̵ᴗ˂̵)
華道では三大流派以外にもいくつかの有名な流派があります!
主に7つの流派があり今回前編では7つの内4つをご紹介致しますね!(*´꒳`*)
池坊
池坊は日本最古の華道の流派と言われています。池坊の歴史の発祥は約550年前。
室町時代に京都六角堂の僧侶であった池坊専慶が確立されたものが現在も続く華道のルーツだと言われています。当時、六角堂の僧侶は池のそばで生活を営んでいたことから「池坊」を名乗るようになったというのが流派の名前の由来。
「立花」は池坊のルーツとなった室町時代に生まれたもっとも古いもので、山や川といった自然の風景を草花や樹木によって表現する技術。「生花」は、江戸時代に生まれたもので、少ない種類の花を用いて植物と自然の力強さの表現を目的としていて、「立花」に比べるとシンプルな魅力が特徴とのこと(*´꒳`*)
草月流
草月流は1927年に「勅使河原蒼風」という人物によって始められた流派です。勅使河原蒼風は華道家の家に生まれ、伝統的な生け花を学んでいましたが、やがて形式的な手法に疑問を感じ、自らの流派である草月流を創始します。
そういったルーツを持つ草月流の特徴は非常に「自由」であるということ。草月流では、「活ける」「生ける」という呼び方ではなく、「変化る」といった言葉を使いますが、その言葉からも分かるように、形式や伝統に縛られることなく、個性や特徴を生かした作品の作り方を学ぶことができますよ(*´ω`*)
小原流
「小原流」は明治時代に小原雲心という人物によって生み出された流派です。小原雲心はもともと池坊で華道を学んでいた人物ですが、当時は明治維新によって新しい文化や生活スタイルが生まれ、西洋化が一気に進んだ時代。日本の物だけでなく、西洋産の花の輸入も進みました。
小原雲心が注目したのはこれらの西洋の花やライフスタイル。これまでの日本の華道ではなかなか受け入れなかった西洋の花を美しく生けるために小原流を創始しました。
小原雲心が生み出したのは「盛花」という新しい手法。「盛花」はこれまであまり使われなかった口が広く浅い「水盤」と呼ばれる器に草木や樹木を盛っていく手法で、それまでの生け花が二次元的で線の動きを重視していたのに対して、三次元的な広がりを重視することで誕生しました。それ以後、「盛花」は、「瓶花」「花意匠」といった様々なスタイルに進化、発展していきます。
ちなみに、現在生け花といえば必要不可欠だと考えられている「剣山」を使うようになったのも小原流が始まりだと言われています。
龍生派
龍生派は明治十九年に「吉村華芸」という人物によって創始されました。
その後、二代目によって「挿花」「瓶花」という様式が考案、三代目になると中心的な考え方である「植物の貌」という考え方が提唱されます。
当時、華道の世界では古典的な形式よりも、自由なスタイルが人気でしたが、龍生派の三代目である吉村華泉は植物本来の姿や表情をとらえて作品とする考え方を生み出しました。
展覧会での写真です(*´ω`*)↓
展覧会の期間中3回に分かれていまして第一次、第ニ次、第三次と展覧会のお花が3回変わります。
私は今回第一次に行ってきました。
展覧会にはさまざまな流派のお花が生けてあり、それぞれの独特な個性的な表現に衝撃を受けました(*´-`)お花は会場まで運び当日、華道の先生方が会場で朝生けるそうです(*´ω`*)
会場にはたくさんの方々が平日でも来ていまして、写真を撮るのも見ている方々の邪魔にならないようにタイミング見つつ急いで撮りながらまわって大変でした( ´ ▽ ` )展覧会でこんなに多くの人達が華道をやっているとは驚きの連続ですね(゚ω゚)
次回も引き続き展覧会の後編をご紹介致しますね︎
ではまた来週に〜